あなたの映画はどこから?私は恐竜から。『ジュラシック・パーク』感想
「初めて見た映画はなんですか?」
こう聞かれてあなたは何の映画を思い浮かべますか?
うっかり夜中に見てしまった『エイリアン』?
『ダイハード』のようなアクションかそれとも『ゴジラ』などの特撮映画かも。
何にせよ、この問いかけに答えられる人はとても幸せだと私は思います。
幼い頃の朧げな記憶にも残る新鮮で衝撃的、鮮烈な映画体験は何にも変え難い貴重な経験のはず。
というわけで今回紹介するのが私が人生最初に見た映画『ジュラシック・パーク』です。
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あらすじ
スティーブン・スピルバーグ監督がマイケル・クライトンの同名小説を実写映画化したSFパニックアクション。現代によみがえった恐竜と人間たちの戦いを、当時最先端のリアルなCG映像で描き、世界的ヒットを記録した。生物学者グラントと恋人の古代植物学者サトラーは、大富豪ハモンドがコスタリカ沖の孤島に建設した施設に招待される。そこは、最新テクノロジーによってクローン再生された恐竜たちが生息する究極のテーマパークだった。グラントたちは同じく招待された数学者マルコムやハモンドの孫である2人の子どもたちと一緒に、コンピュータ制御された車に乗り込んで島内ツアーに出発。しかし思わぬトラブルが続発し、檻から解き放たれた恐竜たちが彼らに襲いかかる。出演は「ピアノ・レッスン」のサム・ニール、「ワイルド・アット・ハート」のローラ・ダーン、「ザ・フライ」のジェフ・ゴールドブラム、「大脱走」のリチャード・アッテンボロー。
(ジュラシック・パーク : 作品情報 - 映画.comより抜粋)
スティーヴン・スピルバーグ監督が1993年に制作、公開したこの映画は当時の歴代興行収入世界一を記録した同監督の代表作です。
私がこの映画を見るきっかけになったのが、当時放映されていたスーパー戦隊シリーズ第27作目『爆竜戦隊アバレンジャー』。
爆竜と呼ばれるロボットのような鎧を纏った恐竜とヒーローたちの勇姿に当時の私は大興奮で毎日のようにDVDを見ていました。
そのあまりの熱中ぶりに母が見せてくれたのが『ジュラシック・パーク』。
アニマトロニクスとCGにより描き出される恐竜たちに私は魅了され恐竜にのめり込んだ私は、毎年のように恐竜博へ行き、一切英語がわからないのに海外の権威の公演を聞きに行ったりしていました。
私にとっての原点でありマスターピース、それが『ジュラシック・パーク』なのです。
今回はそんな『ジュラシック・パーク』を作品単体としての評価以外にスピルバーグ監督作品としての側面から考え、想い、感じたことを語っていこうと思います。
もちろんネタバレ全開ですのでもし万が一まだ見たことがないという方は視聴をお勧めします。
ではいってみましょう!
1.結局『ジュラシック・パーク』は何映画なのか?
さてこの『ジュラシック・パーク』、ジャンル分けするなら何映画になるのでしょう。
DNAやクローン技術の暴走を描くからSF?
中盤終盤の肉食恐竜たちの恐ろしさが際立つからパニックホラー?
それともアドベンチャー?エンターテインメント?
私が思うに、この映画のジャンルをあえていうとすればそれは『恐竜映画』です。
SFでもアドベンチャーでもなく『恐竜映画』です。(大事なことなので二回言いました。)
なぜならこの『ジュラシック・パーク』という映画が脚本や人物描写よりも何よりも『恐竜』をいかに魅力的に描くかに力を注いだ作品だからです。
物語の視点、主人公はサム・ニール演じるアラン・グラント博士ですが物語を動かし、観客を魅了する主役は恐竜たちなのです。
それは本編からカットされたシーンからも読み取ることができます。
カットシーンは複数ありますが、特に顕著なのがグラント博士一行が島に到着し車で移動している途中のシーン。
本編にはエリーが絶滅したはずの植物を手に持っているシーンがありますがその直前に本来は植物の葉を摘み取る場面がありました。
しかしその場面はカットされ、結果としていつの間に手にした葉っぱを持つエリーという若干飛び気味のシーンになっています。
なぜこの数分にも満たない些細なシーンはカットされてしまったのでしょうか。
それは私が思うにそれは来たるブラキオサウルスのシーンへ繋げるため、テンポを重視したためです。
映画のここまでの流れは以下の通り。
①島での搬入作業。ケージの中で暴れる何かに作業員が襲われる。
(ここでは恐竜の姿を見せず、正体不明の恐怖を強調する)
②琥珀採掘場での弁護士と責任者の会話。
(ここで復元方法とグラント博士らの島訪問への前振りを行う)
③グラント博士とエリーのところへハモンド氏が来訪。
(主人公らキャラクターの説明、専門家の意見が欲しいという遠回しの言い方で恐竜の存在を匂わせるも明言はしない)
④島へ向かう博士一行。マルコム博士登場。
(キャラクター説明その2。島の雄大な自然と劇伴で期待を煽る)
ここで注目したいのはここまで恐竜は姿を見せず、その存在を匂わせるだけに留めることで観客に「早く恐竜が見たい!」と焦らしていることです。
恐らくこの焦らしが最高潮に溜まっているタイミングでさらにワンクッションを入れてしまうと映画としてのテンポを損なうと考えたのでしょう。
そこで植物を摘むシーンをカットし、そのままブラキオサウルス登場の流れへスムーズに持っていったというわけです。
スピルバーグ監督特有の画面外の何かに驚くシーンの後、満を辞して現れるブラキオサウルスはこれまでの焦らし、タメも相まって思わず感動してしまうシーンです。
またツアー序盤ではディロフォサウルスやティラノサウルス、ヴェロキラプトルといった肉食恐竜は名前は出てきますが姿は見せません。
その演出は後半、それまで未明だった存在の出現によるさらなる恐怖を与えると同時に、この恐竜たちはどんな姿なのだろうと観客に期待や好奇心をもたせる役割も持っています。
それ故に、後半牙を剥く肉食恐竜たちもただの敵、悪役としてではなく恐ろしくも魅力的な存在である恐竜として観客の前に現れます。
これが原作小説との最大の違いで、原作での恐竜たちはあくまで物語を進めるための舞台道具として描かれています。
しかし、この映画ではアニマトロニクスやCGを用いて徹底的に恐竜たちを魅力的に描くことに終始しています。
ホラーよりアドベンチャーよりSFより、何よりもこの映画の中心にあるのは『恐竜』なのです。
故にこの映画は『恐竜映画』であり、その魅力あふれる姿と彼らへの愛が世界中で評価される要因となったのでしょう。
何より私のような恐竜キッズを全国に生み出しただけで5億点満点です!
2.スピルバーグ監督の集大成『ジュラシック・パーク』
スティーヴン・スピルバーグ監督といえばかの有名なサメ映画の金字塔『ジョーズ』に始まり、『E.T.』、『未知との遭遇』など映画界における一時代を築いた巨匠です。
そんなスピルバーグ監督の初期作品の集大成がこの『ジュラシック・パーク』なのです。
初期の作品群に見られる共通点として、私は『未知』へのアプローチがあると思います。
例えば『激突!』と『ジョーズ』では共に物語の恐怖の対象の姿をあえてハッキリと見せず、一体何になぜ襲われているのかわからない『未知の恐怖』を描き出しています。
この『見えない恐怖』の演出はもちろん『ジュラシック・パーク』でも用いられており、中でも印象的なのが最初にティラノサウルスが登場する場面です。
それは夜の車内でのシーン。
まずコップに入れた水が一定の間隔で振動します。
その振動と共に大きくなるズーンという音。
それが足音だと理解するやいなやカメラが切り替わり、先ほどまでいた生き餌のヤギがいなくなっています。
「ヤギはどこ?」と少女が呟いた瞬間、車の屋根に血まみれのヤギの足が落下。
フェンスを引っ掻く巨大な爪が見え、カメラが上へと徐々に移動し、雷に照らされてヤギを咀嚼するティラノサウルスがドーン!と登場。
この一連の流れがまさにそれまでの作品でスピルバーグ監督が確立させた恐怖演出であり、見ているこちらまでついつい息を潜めてしまうこのシーンは是非一度見ていただきたいです。
(字幕無しですがこちらで見ることができます。)
http://ジュラシックパーク “T-レックス”登場シーン - ニコニコ動画
また未知が生み出すのは何も恐怖だけではありません。
未知への好奇心からくる高揚、興奮のロマンもまたスピルバーグ監督が描いてきたものです。
例えば『E.T.』や『未知との遭遇』では宇宙人という完全に未知の存在とのコンタクトが描かれています。
無論、作中に宇宙人を恐れたり敵視する人間は登場しますが、焦点はあくまでも宇宙人とのコンタクトによる友情でありポジティブな物語です。
そしてこの『未知』への恐怖と好奇心が見事な調和を見せた集大成こそ『ジュラシック・パーク』なのです。
ブラキオサウルスやトリケラトプスなどの草食恐竜をアニマトロニクスやCGで雄大に見せる一方で恐怖の対象となるティラノサウルスやヴェロキラプトルはあえて中盤まで姿を見せずに不穏さを強調する。
これらの演出によって恐竜の持つ生物としての魅力と恐怖の二面性を描き出しているのです。
それは恐竜というかつて確かにこの地球上に存在していた、それでいて謎の多い存在へのスピルバーグ監督なりのアプローチであり、彼らへの敬意なのかもしれません。
3.結論。なぜ『ジュラシック・パーク』は面白いのか。
長くなってきましたのでここで 結論をまとめたいと思います。
『ジュラシック・パーク』が世界中で大ヒットし、今日まで愛されている一番の理由。
それはこの作品が恐竜たちを魅力的に観客に見せることを第一に作られているからです。
この映画の全ての演出、脚本は優れたアニマトロニクスとCGによって蘇った恐竜たちを描き出すことに帰結しており、その熱意と愛が世界中の人々の胸を打ったのではないでしょうか。
また監督作品としての文脈から見てもそれまでの作品で培ってきた演出、技術の集大成であり面白くないはずがないのです。
培った技術の集大成に溢れんばかりの愛を注ぎ込んだ珠玉の一作。
それがこの『ジュラシック・パーク』なのです。