毎日映画チャレンジ4日目『アイズ ワイド シャット』
ウマ娘一挙放送を膝に受けてしまった四日目の映画はこちら。
「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」など数々の名作を残した鬼才スタンリー・キューブリックの遺作。19世紀の文豪アルトゥール・シュニッツラーの「夢小説」を原作に、撮影当時実際に夫婦だったトム・クルーズとニコール・キッドマンを主演に迎え、完全秘密主義で製作された。ニューヨークで暮らす内科医ウィリアムは、結婚9年目となる美しい妻アリスや6歳の娘とともに何不自由ない生活を送っていた。ある夜、ウィリアムは妻から、家族旅行中に他の男に性的欲求を感じたことを告白され激しい衝撃を受ける。性の妄想に取りつかれながら深夜の街をさまよい歩く彼は、ニューヨーク郊外の館で行われている秘密のパーティに足を踏み入れるが……。
(映画.comから引用)
この映画に対する私の感想は作品中盤まで「普通」の一言だった。
左右対称を意識した構図や廊下、『時計じかけのオレンジ』に登場する作家の自宅を思わせるビル宅の本棚など、キューブリックらしさを感じるシーンはもちろん存在する。
しかし繰り広げられる物語はどこにでもありそうな倦怠期の夫婦のそれである。
『2001年宇宙の旅』や『シャイニング』『時計じかけのオレンジ』のように現実離れした、それでいて魅力的な物語ではない。
しかし後半、トム・クルーズ演じるビルが忍び込んだ仮面集会にて、同監督の持ち味とも言える不安さが炸裂する。
前半でビルは妻の精神的不倫(実際行為には及ばなかったもののそれをどこか望んでいたという事実)を突きつけられ、女性、ひいては性衝動そのものへ不安を抱く。
仮面集会で顔の無いまま交わる男女はその不安を形にしたものでは無いだろうか。
顔がなく、個人という概念や相手の存在が不確かであっても成立しうる性衝動は愛なのか。
ならば自分と妻が交わしてきた行為は愛によるものではなかったのかという不安だ。
その不安は後半に渡っても続き、不可思議な性の世界を垣間見たビルはまた日常へ戻らざるを得なくなる。
題材自体にこれといった面白みもないし、盛り上がりにも欠ける。
はっきり言って、他の作品に比べて見劣りしてしまう出来ではある。
しかしそこで駄作とはならないのがさすがキューブリックというべきか。
意味不明ではなく意味深さを散りばめることによる作品への没入感は流石である。
私はまだチェリーボーイなので男女の機微には乏しいため大したことは言えないが、10年後、20年後に観たならまた評価が変わりそうな作品だと感じた。
毎日映画チャレンジ4日目『アイズ ワイド シャット』
ウマ娘一挙放送を膝に受けてしまった四日目の映画はこちら。
「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」など数々の名作を残した鬼才スタンリー・キューブリックの遺作。19世紀の文豪アルトゥール・シュニッツラーの「夢小説」を原作に、撮影当時実際に夫婦だったトム・クルーズとニコール・キッドマンを主演に迎え、完全秘密主義で製作された。ニューヨークで暮らす内科医ウィリアムは、結婚9年目となる美しい妻アリスや6歳の娘とともに何不自由ない生活を送っていた。ある夜、ウィリアムは妻から、家族旅行中に他の男に性的欲求を感じたことを告白され激しい衝撃を受ける。性の妄想に取りつかれながら深夜の街をさまよい歩く彼は、ニューヨーク郊外の館で行われている秘密のパーティに足を踏み入れるが……。
(映画.comから引用)
この映画に対する私の感想は作品中盤まで「普通」の一言だった。
左右対称を意識した構図や廊下、『時計じかけのオレンジ』に登場する作家の自宅を思わせるビル宅の本棚など、キューブリックらしさを感じるシーンはもちろん存在する。
しかし繰り広げられる物語はどこにでもありそうな倦怠期の夫婦のそれである。
『2001年宇宙の旅』や『シャイニング』『時計じかけのオレンジ』のように現実離れした、それでいて魅力的な物語ではない。
しかし後半、トム・クルーズ演じるビルが忍び込んだ仮面集会にて、同監督の持ち味とも言える不安さが炸裂する。
前半でビルは妻の精神的不倫(実際行為には及ばなかったもののそれをどこか望んでいたという事実)を突きつけられ、女性、ひいては性衝動そのものへ不安を抱く。
仮面集会で顔の無いまま交わる男女はその不安を形にしたものでは無いだろうか。
顔がなく、個人という概念や相手の存在が不確かであっても成立しうる性衝動は愛なのか。
ならば自分と妻が交わしてきた行為は愛によるものではなかったのかという不安だ。
その不安は後半に渡っても続き、不可思議な性の世界を垣間見たビルはまた日常へ戻らざるを得なくなる。
題材自体にこれといった面白みもないし、盛り上がりにも欠ける。
はっきり言って、他の作品に比べて見劣りしてしまう出来ではある。
しかしそこで駄作とはならないのがさすがキューブリックというべきか。
意味不明ではなく意味深さを散りばめることによる作品への没入感は流石である。
私はまだチェリーボーイなので男女の機微には乏しいため大したことは言えないが、10年後、20年後に観たならまた評価が変わりそうな作品だと感じた。
毎日映画チャレンジ4日目『アイズ ワイド シャット』
ウマ娘一挙放送を膝に受けてしまった四日目の映画はこちら。
「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」など数々の名作を残した鬼才スタンリー・キューブリックの遺作。19世紀の文豪アルトゥール・シュニッツラーの「夢小説」を原作に、撮影当時実際に夫婦だったトム・クルーズとニコール・キッドマンを主演に迎え、完全秘密主義で製作された。ニューヨークで暮らす内科医ウィリアムは、結婚9年目となる美しい妻アリスや6歳の娘とともに何不自由ない生活を送っていた。ある夜、ウィリアムは妻から、家族旅行中に他の男に性的欲求を感じたことを告白され激しい衝撃を受ける。性の妄想に取りつかれながら深夜の街をさまよい歩く彼は、ニューヨーク郊外の館で行われている秘密のパーティに足を踏み入れるが……。
(映画.comから引用)
この映画に対する私の感想は作品中盤まで「普通」の一言だった。
左右対称を意識した構図や廊下、『時計じかけのオレンジ』に登場する作家の自宅を思わせるビル宅の本棚など、キューブリックらしさを感じるシーンはもちろん存在する。
しかし繰り広げられる物語はどこにでもありそうな倦怠期の夫婦のそれである。
『2001年宇宙の旅』や『シャイニング』『時計じかけのオレンジ』のように現実離れした、それでいて魅力的な物語ではない。
しかし後半、トム・クルーズ演じるビルが忍び込んだ仮面集会にて、同監督の持ち味とも言える不安さが炸裂する。
前半でビルは妻の精神的不倫(実際行為には及ばなかったもののそれをどこか望んでいたという事実)を突きつけられ、女性、ひいては性衝動そのものへ不安を抱く。
仮面集会で顔の無いまま交わる男女はその不安を形にしたものでは無いだろうか。
顔がなく、個人という概念や相手の存在が不確かであっても成立しうる性衝動は愛なのか。
ならば自分と妻が交わしてきた行為は愛によるものではなかったのかという不安だ。
その不安は後半に渡っても続き、不可思議な性の世界を垣間見たビルはまた日常へ戻らざるを得なくなる。
題材自体にこれといった面白みもないし、盛り上がりにも欠ける。
はっきり言って、他の作品に比べて見劣りしてしまう出来ではある。
しかしそこで駄作とはならないのがさすがキューブリックというべきか。
意味不明ではなく意味深さを散りばめることによる作品への没入感は流石である。
私はまだチェリーボーイなので男女の機微には乏しいため大したことは言えないが、10年後、20年後に観たならまた評価が変わりそうな作品だと感じた。
毎日映画チャレンジ3日目『メメント』
三日坊主の三日目までは続いた本企画。
今日鑑賞した映画はクリストファー・ノーラン監督作『メメント』。
強盗犯に襲われて妻を失い、頭部を損傷し、約10分間しか記憶を保てない前向性健忘という記憶障害になったレナード。彼は、ポラロイド写真にメモを書き、体中にタトゥーを彫って記憶を繋ぎ止めながら、犯人を追う。実在するこの障害を持つ男を主人公に、時間を遡りながら出来事を描くという大胆な構成が話題を呼び、全米でインディペンデントでは異例のヒットを記録。監督は本作が第2作の新鋭、クリストファー・ノーラン。(映画.comより引用)
本作は短期間で記憶を失う主人公を語り手に、時系列を遡る形で物語が進む特殊な映画である。
昨年、同監督が制作した『TENET』は映像技術で世界そのものを逆回しにする作品だったが、本作はそのプロトタイプとも言えるだろう。
そして改めて感じるのはクリストファー・ノーランの恐るべき情報整理力である。
これが最大限に発揮されたのは『ダンケルク』であると私は考えているが、要するに変則的な時系列の組み合わせとその場合に起きる状況の整理がとんでもなく上手い監督なのである。
『ダンケルク』では一週間、一日、一時間という異なる時系列の視点を同一時間軸のラストシーンへ収束させるというトリプルアクセルを成功させたノーランだが、本作『メメント』にもその原型が見て取れる。
一つの場面が終わるとまた次の場面が始まり、その終わりは先程の場面の始まりへ収束する。
書いていると訳がわからなくなってくるが、ノーランが得意とするのは要するに映像ならではの時系列叙述トリックである。
唐突に挿入されるシーンが後から繋がってくる、『TENET』で言うところのキャットの急な回想シーンである。
意図的に観客の意識をシャッフルして混乱させ、その答えを知りたい観客は目の前の映像にのめり込んでいく。
意味不明ではなく、意味ありげな混乱こそがノーラン映画の特徴なのだろう。
だからこそ意味を求めて映画へのめり込み、その答えが与えられた時のカタルシスは筆舌に尽くし難いものがある。
とはいえ『わかりにくさ』と『わからなさ』の境界が曖昧なのもノーラン映画の特徴だ。
特に『TENET』ではわかりにくさにプラスして物理法則を故意に歪めてしまったりしているので余計に混乱を招いている。
その辺はご愛嬌といったところだが少なくとも感覚的な映画を好みつつ、複雑な考察も好きなオタクとしては彼の作る映画は非常に好みである。
そんなノーラン作品の原型である『メメント』も個人的にとても好みの作品だった。
今日は眠いのでここまでにしよう。
毎日映画チャレンジ2日目『ハンニバル』
三日坊主にならないよう頑張りたいこの企画。
二日目は『羊たちの沈黙』の続編、『ハンニバル』で行ってみよう。
アカデミー賞を受賞した傑作サスペンスミステリー「羊たちの沈黙」の続編で、トマス・ハリスの同名小説を映画化。全米を震撼させたバッファロー・ビル事件から10年。レクター博士のヒントで犯人を逮捕したクラリスは、FBIのベテラン捜査官となっていた。しかし、麻薬密売人イベルダの逮捕の際、激しい銃撃戦の末に彼女を射殺したクラリスは、マスコミの非難を浴びFBI内部でも厳しい追求を受ける。一方、レクター博士はイタリアに渡り、“フェル”博士としてフィレンツェの名家の蔵書を司る職に就いていた。監督は「ブレードランナー」「エイリアン」のリドリー・スコット。前作で映画史に残るキャラクターとなったレクター博士をアンソニー・ホプキンスが再び演じ、クラリス役は新たにジュリアン・ムーアが務めた。(映画.comより引用)
前作『羊たちの沈黙』はアカデミー賞を受賞しただけあって非常に良質な映画だったと記憶している。
アンソニー・ホプキンスの気品と狂気の入り混じった演技はまさに圧巻で、この名優無くしてこの映画無しと言えるだろう。
そんな『羊たちの沈黙』の続編に位置付けられる本作『ハンニバル』だが、正直個人的な評価は微妙である。
というかこれは前作の出来があまりに良すぎるせいもあると思うのだが、やはりアンソニー・ホプキンス演じるレクター博士があまりにも強烈な印象を残すが故に他の要素が霞んでしまうのだ。
加えて本作、主人公のFBI捜査官クラリス・スターリングの配役が変更されているのも個人的にはマイナスだ。
ジュリアン・ムーアは素晴らしい女優だと思うが、前作のジョディ・フォスターの気丈さの中に脆さと儚さが垣間見える独特の雰囲気が個人的に好みだった。
また今作のレクター博士は割とアグレッシブというか行動的なのも違和感を感じた。
前作のレクター博士は前半の安楽椅子探偵のような落ち着きとそこから来る底知れなさ、そして後半解放される凶暴性のギャップが魅力であった。
だが今作は電気銃であっさり捕獲されたり、結局クラリスに助け出されたりとアグレッシブに動くわりにあまり良いところがない。
アンソニー・ホプキンスの演技は相変わらず素晴らしいし、ゴア描写も前作よりパワーアップはしているがそれだけである。
前作の気品漂うミステリアスが失われ、残ったのはレクター博士というキャラクターの魅力だけ。
個人的にはガッカリする類の続編作品だった。
毎日映画チャレンジ2日目『ハンニバル』
三日坊主にならないよう頑張りたいこの企画。
二日目は『羊たちの沈黙』の続編、『ハンニバル』で行ってみよう。
アカデミー賞を受賞した傑作サスペンスミステリー「羊たちの沈黙」の続編で、トマス・ハリスの同名小説を映画化。全米を震撼させたバッファロー・ビル事件から10年。レクター博士のヒントで犯人を逮捕したクラリスは、FBIのベテラン捜査官となっていた。しかし、麻薬密売人イベルダの逮捕の際、激しい銃撃戦の末に彼女を射殺したクラリスは、マスコミの非難を浴びFBI内部でも厳しい追求を受ける。一方、レクター博士はイタリアに渡り、“フェル”博士としてフィレンツェの名家の蔵書を司る職に就いていた。監督は「ブレードランナー」「エイリアン」のリドリー・スコット。前作で映画史に残るキャラクターとなったレクター博士をアンソニー・ホプキンスが再び演じ、クラリス役は新たにジュリアン・ムーアが務めた。(映画.comより引用)
前作『羊たちの沈黙』はアカデミー賞を受賞しただけあって非常に良質な映画だったと記憶している。
アンソニー・ホプキンスの気品と狂気の入り混じった演技はまさに圧巻で、この名優無くしてこの映画無しと言えるだろう。
そんな『羊たちの沈黙』の続編に位置付けられる本作『ハンニバル』だが、正直個人的な評価は微妙である。
というかこれは前作の出来があまりに良すぎるせいもあると思うのだが、やはりアンソニー・ホプキンス演じるレクター博士があまりにも強烈な印象を残すが故に他の要素が霞んでしまうのだ。
加えて本作、主人公のFBI捜査官クラリス・スターリングの配役が変更されているのも個人的にはマイナスだ。
ジュリアン・ムーアは素晴らしい女優だと思うが、前作のジョディ・フォスターの気丈さの中に脆さと儚さが垣間見える独特の雰囲気が個人的に好みだった。
また今作のレクター博士は割とアグレッシブというか行動的なのも違和感を感じた。
前作のレクター博士は前半の安楽椅子探偵のような落ち着きとそこから来る底知れなさ、そして後半解放される凶暴性のギャップが魅力であった。
だが今作は電気銃であっさり捕獲されたり、結局クラリスに助け出されたりとアグレッシブに動くわりにあまり良いところがない。
アンソニー・ホプキンスの演技は相変わらず素晴らしいし、ゴア描写も前作よりパワーアップはしているがそれだけである。
前作の気品漂うミステリアスが失われ、残ったのはレクター博士というキャラクターの魅力だけ。
個人的にはガッカリする類の続編作品だった。
毎日映画チャレンジ1日目『時計じかけのオレンジ』
というわけで始まった毎日映画チャレンジ。
第一回目はあの『時計じかけのオレンジ』だ。
原作者のアンソニー・バージェス自身が”危険な本”と語った同名の小説を映像化。非行少年による暴力が横行する近未来のロンドン。アレックスも仲間を引き連れ、喧嘩とレイプに明け暮れる日々を過ごしている。ある夜、中年女性を死に至らしめた彼は刑務所行きに。しかし2年後、とある治療法の被験者になることを条件に、社会に戻ることを許されるが……。(映画.comより引用)
私が観たことのあるキューブリック作品は『シャイニング』と『2001年 宇宙の旅』のみだが、両作ともにかなりツボに刺さる映画だった。
しかし『時計じかけのオレンジ』はまた別格という印象を持っていた。
英国で少年事件との関連が取り沙汰され上映禁止になったというエピソードもあり、過激なカルト映画というのが本作を見る前の私の印象だった。
しかし、実際見てみると過激な暴力描写はもちろんあるが存外マトモな映画という感想を持った。
その暴力表現も当時ならともかく、現在ではそうめくじらを立てるほどでも無いという印象だ。
しかし、それでも間違いなくこの『時計じかけのオレンジ』は別格の映画だと言える。
まずは全編にわたって何度も流れるクラシックの名曲達。
画面で繰り広げられる純粋な衝動によるセックスと暴力は音楽により、奇妙な魅力を感じさせる危ういものへ昇華されている。
アレックスが『雨に唄えば』を歌いながら夫人をレイプし作家に暴力を振るうシーンは一種のミュージカルやオペラのような雰囲気を放っている。
目の前で起こる凄惨な悲劇に対し、その悲劇を起こす当事者は心よりその暴力を楽しんでおり、美しい音楽がそれを補強する。
アレックス自身の心情を観客が否応なしに体感することができるのだ。
そして中盤行われるルドヴィゴ療法では暴力、レイプ、戦争の映像が雄大なベートーベンと共に映し出される。
ここで観客が前半で体験した暴力と音楽がリンクしてくる。
我々がこれまで見せられていたのはキューブリックによるルドヴィゴ療法と言えるわけである。
そして後半、アレックスに降りかかるのは自分が行ってきた暴力と全く同じ不条理で衝動的な暴力である。
しかしそれまでの自身の暴力衝動を今度は受動的に体験した結果、アレックスはルドヴィゴ療法の苦痛から解放される。
暴力衝動を自ら発し、他社のそれを受けとめた今、彼の暴力衝動はテーゼ、アンチテーゼの先にあるジンテーゼの領域に至ったのでは無いだろうか。
この映画はこの回復したアレックスの場面で終わるが、もしもこの先があるとしたら彼はどうなるのだろうか。
そんな想像の余白を残してくれる、非常に味わい深い映画であった。